コロナ禍では、その発生当時から、誰もが人類の叡智を信じ、乾坤一擲のワクチン開発を信じてきたと思う。
ようやく、ワクチンを現実的に接種開始できる状況になってきた。
やはり米国企業のチカラが世界をリードしようとしている。
日本でも、ようやくそのプロセスに入りつつあるが、そう簡単に、乾坤一擲できそうな感じはしない。
国民にお金を一律に支給するときにも、動きの鈍さ、行政の足腰の弱さ、効率・品質の悪さなど、暗澹たる有様であった。
この二の舞が、乾坤一擲であるべきワクチン接種でも、さらなる大混乱を予感させる状況になりそうだ。行政の組織化、効率化を長期間にわたって放置してきたツケが、今から表面化するのだろう。

なんでもお上のせいにする趣味は私にはない。しかし、政治や政府の上っ滑りの慣習(習慣?)が、長年の積み重ねで、感覚のズレた、「慣性モーメント社会」を築いているように思う。
政治家は、俯瞰力、構想力、夢想力など、目先の事象を正確にとらえ、その裏、その先をイメージするチカラが必要である。単なる、高すぎる携帯電話料金だけを下げるといった、国民受けだけを意識した施策だけでは、まったく不十分である。そういうのは、見識というレベルのものではない。
ひどく高齢化した老人が政治の実質を動かすことの危うさ、滑稽さは、もはや論外ではないのか?専門家に科学的に見た高齢化の弊害でもきちんとレクチャーしてもらうべきだろう。
そういう輩を生き長らえさせている、我々国民自身が、実はこの現実の写し鏡なのである。真の原因は、そこにあることはしっかり認識する必要がある。