万物は流転する。人も流転する。

華麗なる脱皮

流転することは、流転する前と流転した後を比較認識することでのみ理解できる。

流転を別の言葉でいえば、変化と言い換えてもいいだろう。流転が、人の人生や、社会の大きな変化などを思い浮かべるのに対し、変化は、より一般的、汎用的な用語であろう。

私の人生も自分なりに見て、小さな変化が積み重なり、少しマクロに見れば流転したと思える。
変化という言葉はマクロだけでなく、ミクロなレベルでも普通に使える。そして、流転視点で変化の大きいことが、転換点である。急激で大きな変化が起こるポイントがある。

私の場合を振り返ってみると、そういう転換点は次のようなことが思い当たる。
1)受験して学校に入学し、卒業したとき
2)最初の会社に入社したとき
3)何度かあった、転職の時
4)伴侶を得て、子供を持ったとき
5)仕事の中で、大きな失敗をしたとき
6)会社を辞めて自営業を始めたとき
7)住居を変えとき

今年夏にFacebookにも投稿したが、セミの脱皮のインパクトも、この転換点を考える契機になった。
つい最近横浜市から横須賀市に引っ越ししたが、上記7)も、大きな転換点であると感じた。
特に、高齢化してからのこの転換点は、「断捨離」効果がある。ずるずると過去にこだわる人間が、半ば強制的に過去を切る作業をさせられるようなものだ。
普通、人間は高齢化するほど、頑固という、「柔軟性欠如症候群」に支配されやすい。こういう、頑固という仮面に隠れた、実は怠惰なだけの自分を追い込んで、否応なしに、過去を切る作業を強いる。それが7)なのだ。
少しばかり、エネルギーを要するが、適度に高齢化した時点で、積極的に引越するのがいいと強く感じる。