断捨離は、世の大きな流れになっていると言って良い。
個人が、ある意味豊かな社会を当たり前と捉えられる時代が続いている。少なくとも日本のかなり多くの人がそう感じていると言ってよい。
そういう状況の中で生きる個人として、自らを律し、ムダを見直し、アカを落として、身ぎれいで軽やかな環境を、自ら創るという考え方は素晴しい。
昔かじった機械工学の熱力学に「エントロピー増大の法則」というのがあった。その後かじった、情報工学でも「情報のエントロピー増大の法則」というのがあった。
私のつたない理解では、人間の生活でも、本人が気付かない、「各種エントロピー増大の法則」があるように思う。普通の、個人生活のあらゆる局面でいえることだ。知らず知らずの間に、ゴミのようなものが蓄積していくわけだ。身の回りの「モノ」に関する、貯まったエントロピーを削減するのが「断捨離」ということではないか?

私の考えている個人の人間関係資産も同じことがいえる。資産でない人間関係を資産と勘違いしている場合、それは極端に言えばゴミである。人間関係資産は、定期的に見直しして、その品質を高くしておくことが重要である。ゴミは不要である。

こう考えると、人間関係にも断捨離の考え方を適用するのは、その資産品質を高めるために大きな役割を持つといえる。
また、個人の年齢の経過で、人間関係そのものを見直し、不要なモノを切ることも必要であろう。これは、年齢に関係なく人間関係資産が大きいことだけが善ではなく、その人のライフサイクルに見合う調整をすることを意味する。
今まで、人間関係資産論では余り踏み込んでこなかった、個人のライフサイクルに会わせた、人間関係資産意識を今後の課題の一つにすべきかも知れない。

それにしても、断捨離が最適なモノのみを残すことと理解すると、個人のライフサイクルに応じた最適なモノがある。これは、個人特有の考え方、生き方に委ねていると思われる。そうすると、個人個人が自分に最適なモノを整理する必要がある。
人間関係に関してもまったく同じ考え方が適用できるだろう。
(2018/10/1 井野)