ものの見方を、別の表現で考えてみます。
見るものの、何を見るのかということです。二つの見方があります。

1)現象をみる
まさに起きている事実を正確に見ることです。現実的に、正確にみることは難しいことです。なぜなら、相手は、間違えた見え方になるよう細工しているヤツらがいるからです。特に彼らの利害が直接的に関係することについて、間違えさせようとします。森友・加計の、財務省の記録書き換えなど、本人達は忖度の結果、良かれと思ってやったでしょうが、とんでもない悪事であり、部外者に対し隠す意図は明白です。
日大の監督コーチの会見は、自分達の立場を守るための表現を工夫しようとしたのでしょう。正しいことを伝えるということより、自分達の立場保護を優先する心理です。
現象を正しくみることは、見たままが正しいわけではなく、見たことから正しいことを推理する必要があります。
利害が関係することを見る時は、そのスタンスと推理能力が必要になるのです。

2)構造を見る
目の前の現象を見て、そのまま理解するのではなく、その現象の起こる背景を合わせて考えます、ものの見方です。背景とは、実は多種多様です。
森友・加計問題では、文科省や鳥インフルエンザ、大学経営といった事柄だけでなく、明治維新以来の日本の政治、役所の制度疲労といった見方まで見るべきかもしれません。役人といえども、公僕の役割の前に個人の利害が共にあり、時として、出世欲などの個人欲望を優先することが起こりうるわけです。
まさに、現象の起こる本質的原因を探すためには、この構造的なことを分析し、全体像を探る必要があるのです。時間的な経緯まで含めた構造です。
ある意味、神のみぞ知る、という世界に近いのかもしれません。しかし、このアプローチをなくしては、結果的に感覚的な見方、操作された現象観察に終わってしまう可能性が高くなります。神のみぞ知ることを、科学的に解きほぐすことは、本当に難しいし、相当な分析能力と広い知識が必要になります。

★上記、ちょっと、振りかざしたものが、振り切れていないと自認しています。しかし、言いたいことは、現象面で、目くらまし操作に目がくらまないようにすることです。目くらまし操作をする立場の人間がいる可能性があるのです。その場合は、何らかの利害、欲が絡んでいることなどを、頭に置きたいと思います。(2018/5/30 井野)