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イノセンター構想(1~5)

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イノセンター構想1:何それ?

イノセンター」、これは私が40年くらい前に発想した(ビジネス?)モデルです。今現在を的確に見通した考え方であったと思うと同時に、全く頭でっかちに考えるだけで、何も踏み出せなかった自分を不甲斐なく感じることでもあります。
現在では、もはや日常のこととして現実になってきてしまった「高齢社会」があります。そして、今後さらにその惨憺たる現実が押し迫ってくること必定です。私がイノセンターを発想した、35年前はまだそう大騒ぎする状況ではありませんでした。何しろ、日本のエンジンになっている団塊の世代が働き盛りの「坂の上の雲」を目指す時代だったのですから。いまや、そのエンジンが時代の重荷になってきたのです。この先が思いやられる最大の課題ですね。
しかし、当時からすでに人口構造の問題は自明の理でありました。人口構造が引き起こす事態は、第二次大戦の終戦からすぐに起こったベビーブームの時点で、ずっと明らかなことであり続けたのです。
そして、戦後の復興から高度成長時代にかけて、若い世代を中心に、日本中の田舎から都会に人口が移動したのです。働く場、学ぶ場を求めて・・・。
私も、四国の山の中から出てきました。そこで、故郷の田舎の状態と東京の実態を見て考えたのがイノセンターでした。
イノセンターとは、都会や都会の近郊に木工センターを作ろうというものです。その木工センターの名前がイノセンターです。見ての通り、私が発想して名付けたので、井野木工センターイノセンターになっただけの話です。単純な自己主張です。でもちょっといい語感でしょう?イノセント(innocent)みたいで!
若者も、いつしか親になり、爺さん婆さんになっていきます。都会に住みなれた若者も、皆都会人です。しかし、自分が田舎育ちであれば、特に田舎の経験が体の一部にしみこんでいるものです。
今でも、せめて田舎に住めなくても、子供のころ遊んだことは心の奥深く抱えもっているものです。そのなかの一つ、工作やモノづくりをたまにはしたいと思う人はきっとたくさんいます。たまには、子供や孫を連れて、本立ての一つでも作れる気楽な場があったら、行ってみようと思う人は都会にはまだまだいるのではないでしょうか。
そいう人が、気楽に都会や都会の近郊で、つかの間の子供のように熱中できる場所、ゆったり時間を過ごせる場所、子供や孫と一緒に楽しめる場所として、イノセンターを提供したいというのが、イノセンター構想です。

イノセンター構想2:背景

日本の国土のほとんどは山林
たまには、じっくりと日本地図を眺めて下さい。日本の国土の大半は森林です。その山林は第二次世界大戦のとき伐採した後に植林した、杉、ヒノキがほとんどなのです。私は子供のころ、父親に連れられて、植林や下刈などを手伝ったものです。
戦後60年をはるかに超えた今、当時植林した木々は、今や立派な太さに育っています。どのくらいの太さになるか想像できますか?・・・ただ惜しむらくは、間伐などのメンテが不足したことにより、品質に問題があるかも知れません。でも、想像以上の大きさに育っています。
イノセンターを発想した35年前には、若者が都会に出ていく大きな流れがあり、田舎の多くが山林地帯で、都会よりいち早く高齢化社会は進んでいたのです。
現在は、それが更に進み、高齢社会を超え、超高齢化社会、人そのものがいなくなる限界集落が問題になっているのです。
田舎には雇用機会がない、少ないということが致命的なこと
雇用機会がないから、若者は仕事を求めて都会に出て行ったのです。新しい雇用を作ることができないものでしょうか?今からでも、・・・。
資源は、当時も今も外国からの材木に押されて、ほとんど価値のない木材がたくさんあります。しかし、その木材は年々成長する植物なのに、間伐などのメンテナンスが不十分で、資源価値を高めるどころか、現状維持することさえおぼつかないのです。
一時期騒がれました。林業従事者の高齢化の問題が・・・。今は、騒ぐことさえ忘れ去られたのでしょうか。眠れる資源は、ある時ふたを開けるとゴミの山になってしまっている可能性が高まっています。
間伐材の需要を作ることができ、その価値をもう少し高めることができるなら、日本中の田舎に眠る資源、山林資源をもっと活用できる
山林資源のメンテナンスの費用だけでも創り出すことができれば、大きな意味があるのです。せっかく戦後の汗と涙の結晶の森林資源が、しっかり資源価値を確保できるだけで、先の見えない将来の日本の国のために少しは役に立つことが期待できるのです。
日本の眠れる資源を有効活用すること、および、そこに雇用機会が生まれれば、田舎に人が戻ってこられるのです。
都会に出て行った若者も、都会で育った若者も
「田舎暮らしの本」が何故あのように人気があるのでしょうか?
田舎に雇用機会があれば、田舎に行きたいという人は、都会にはたくさんいるのです。都会の暮らしは便利ですが、今どきの若者の中には、そういう利便性等より別の価値観をもった人もたくさんいるようです。
若者だけではなく、子供のころ田舎で育ったシルバー世代のなかにも田舎暮らしを志向する人は少なくありません。
田舎に雇用機会が増えれば、人は必ず田舎に向かうのです。もちろん、全員向かうなんてことはありません。全員向かわれても困りますけど、そんなことは、ありえません。

イノセンター構想3:具体化

イノセンターのイメージ
都会や近郊に公共の施設や廃校になった場所を確保します。もちろん、普通の工場跡等でも構いません。可能な限り安いコストで確保したいところです。
工作用の用具、電動の工作機械なども備え、ちょっとうるさ型のオヤジにインストラクターかアドバイザーをしてもらいます。できればボランティアで。そこで、安い会費で参加した都会の住民が自分自身や自分の子供、孫とともに楽しみながら作ってもらうのです。
PCを置いて、工作ガイドを図解でガイドしてもいいでしょう。初心者コースから順次高度なモノづくりまで、ガイドしたいものです。一休みするための休憩コーナーには、コーヒーでも飲めるようにすればいいのです。とにかく、安く、面白い体験を子供や孫と一緒にできればいいのです。楽しめる、ほっとする場を創るのです。
材料は間伐材!
イノセンターでは工作の材料はすべて間伐材に限ります。間伐材を利用できる方法を考えることが最も重要です。コストに見合う活用できる場さえあれば、田舎で間伐し、製材し、トラックで運搬し、イノセンター群を対象にした間伐材集荷センターが必要になるのです。
これらの全ては、新しい雇用機会として、田舎に住みながらできる仕事を提供することになります。大儲けできなくてもいいのです。若い人が田舎で生活できるくらいの雇用モデルが実現できればいいのです。
田舎に雇用機会ができれば、若い人が田舎に住みます!
田舎の人口が増えれば、無医村も少なくなり、公共バスも必要性が高まります。学校も生徒が増え、田舎全体が人の住む場所になり、活性化します。少なくとも限界集落化する動きを少しでも食い止めることができるのです。
都会に住む若者も、ストレスに満ちた都会の生活だけでなく、もっとゆったりとした田舎の生活を選ぶ選択肢が増えるのです。今や日本中が、イノシシやタヌキ、サルなどに人間が住んでいたエリアが責め立てられています。これに反攻できるのです!日本国民のどれだけが、日本の田舎の苦しい未来を実感として知っているというのでしょうか!
何もしなければ、田舎はどうなるのでしょうか?
昔田舎でヤマ持ちたっだ家では、今団塊の世代くらいが地主になっていても、この先将来のヤマをどうするか、悩んでいる人は少なくありません。どうするんですか?どうなるんですか??何もしなければ、ま、、なるようになるでしょうが、・・・。ケセラセラですか?

イノセンター構想4:全体図

イノセンター構想の全体イメージを図にしました。まさに、部品をつないで、全体に息をさせることが最重要なことになります。個々の部品の品質が良いほうがよいに決まっていますが、全体の価値は、個々の部品のトータルではないのです。ある意味、シナジー効果(相乗効果)を引き起こすことこそ、全体システム発想の価値なのです。つなぐことの重要性です!

イノセンター1

 イノセンター構想5:前へ!

私は35年前から、いつか宝くじがあたったら、イノセンターをやってみたいと、ずっと思っていました。そのためには、まずイノセンターのプロトタイプ(実験センター)を最初にやる必要があります。そもそも、そのニーズがどの程度あるのか、工夫次第でニーズを掘り起こせる可能性があるのか見極めが必要です。その実験するにも資金と場所・設備など、本気で取り組む必要があります。宝くじレベルと勝手に決めていました。
しかし今までも、現在も、これに向かって一歩を踏み出す気力と資金力と勇気が私には出てきません、無念です。
イノセンター構想が面白いのは、ビジネス感覚が感ぜられるところだと自認しています。シーズ(タネ)とニーズ(必要性)を見つけ出して、それをつなぎ流れを生むということです。タネは、日本の森林資源であり、必要性は都会に住む人への癒しであり偏在化が進む日本の人口構造の改善といったことになります。タネの生む価値を開拓することがポイントになります。そこに木工センターのイノセンターが位置付けられる訳です。
私は若い頃から、このイノセンター構想をずっと考えていました。考えるだけで何もできなかった自責の念を感じています。それと並行して俺の曼荼羅構想というのも持っていました。後者が、現在私が追いかけている「自分マンダラ」であり、その必然性、理論的根拠をまとめた「人間関係資産論」なのです。
結果的に私は現在、イノセンターに届かず、「自分マンダラ」だけは何とかしたいと思っています。
そもそもイノセンターのような大掛かりなことは、政治家が主導したほうがうまくいく可能性も多々あると思います。例えば、イノセンターが公共の土地や建物を割安で使用できるようにすれば、イノセンター構想の実現化へのハードルは少しは低くできるでしょう。もちろん、プロトタイプ一つやるにしても、相当な資金が必要になるはずです。公共のプロジェクトとして進めてもよい意味合いがあると思います。何よりも、これにより得られることは極めて社会性の高いことばかりです。
しかし、そもそも政治家なぞ、人口構造の結果だけを追いかける選挙制度ひとつすらまともに整備できないのが現実です。本質的な、国土に合わせた人口構造や人口分布を制御する、バランスさせていくといった発想も力もないということです。いつの日にか、それができる人の出現を期待したいとも思います。

私は、自分で発想はしていたが、結局一歩も踏み込めなかった無力さ、無念さを強く感じています。いつか、誰かが時代に合わせて、この考えを参考にして有益なことを実現してくれることを祈るだけです。
この回をもって「イノセンター構想」の記事は終了です。竜頭蛇尾な「イノセンター構想」でしたが、考えていたことだけは書き記しておきたかったことをご理解下さい。「イノセンター妄想」だったかも、・・・。

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