私は、ずっと「人間関係資産論論」を掲げて、走っているつもりだ。
一方で、心の奥にずっと引っかかり続ける感覚がある。
人間関係を資産と見るということ自体が、普通の人に感覚的違和感をもたらすのではないかということである。
歴史をさかのぼるまでもなく、人間関係を悪用するケースは、現在今日でも跡を絶たない感じがする。人間性の上品さの反対側にありそうな、人間関係を悪用して、自己利益に直結させることは、日本に限らず、世界的に見ても想像するに難くない。たくさん起こっているし、気付かない多くのケースがあるはずだ。目立つケースもたくさんある。
人間関係資産論では、このことを懸念して、「正しい活用」について、強調し、それが前提で成り立つという立場を強調している。
逆に言うと、「正しくない活用」を思わせることは、いくらでも散見される。人間関係を人脈と置き換えると、より直接的に思い当たることがあるだろう。
最近、反・人間関係資産論なるテーマで、物語を書いてみるのがいいかも知れないと考えている。
要は、人間関係悪用論の視点である。実例は、比較的簡単にあるように思う。事件性のあることには、人間関係を悪用することが少なくない。
しばらく、ウォーキングの途中ででも、このことを真面目に考えてみたいと思っている。・・・・・・・・。