コロナ騒動は依然として先行き不透明である。
待望のワクチン接種が、外国では始まり、日本でも近々開始されるようである。それでも、それが本当の決め手になるかどうかは、半信半疑を脱しきれない。その一方で、コロナの変異種が出始め、更に拡散するかどうかの新たな局面さえ、見えてきている。
マクロ的に見て、人類が今まで積み上げてきた「善なるもの」に対して、まったく別の、いわば想定外の出来事が発生しており、それにいかに対応できるかが試されているのかも知れない。
人間の考える「対応」は、それまでの経験を元にしたことがベースであり、いわゆるゼロベースの対応を考えることは、あまり中心的なことにならない。経験ベースで、昨日の続きの今日、今日の続きの明日という発想では、対応する力が足りない可能性は大きいのではないか?
AI(Artificial Intelligence)も20年以上前に喧伝された時には、人間の経験をいかにコンピュータに埋め込むかが骨子であった。現在でも、基本的に確立した知識、知恵をコンピュータに埋め込み、判断させるというスキームは同じであると思う。つまり、いずれにしても、人間の経験した範囲内の理解と対応をおこなうスキームであることは変わらない。
問題は、人間が経験したことがないことに対して、どういう理解をし、どういう思考をし、どういう判断をし、そしてどういう行動をするかということに、まったく正解がないということである。
現状の地球、自然環境、宇宙、・・・、人間の知らないことはたくさんある。むしろ知っていることがごくわずかであるというのが当たっているだろう。このことを忘れて、人間の意識が独善に陥り、おごり高ぶっているのではないか。もっと、謙虚になり、ゼロベースで新たな環境変化を理解し、判断し、行動すべきなのではなかろうか?
特に、マスメディアやネットなどの情報流通インフラが発達してきた現代では、本当のリーダが発信しないと、その及ぼす影響は、大きなレバレッジで社会に跳ね返ってくるはずだ。古い時代のままのリーダが、新しい情報環境で「実」をコントロールしようとすると、制御理論で言う、発振現象を引き起こす可能性が大きくなる。
それが、現在、地球上、日本で起こっている状況ではないか?適切でない古い時代感覚のままのリーダが、彼の独善的価値観で自己陶酔型でやっている場合が多いのではないか?いわゆる「思い込み」状態で、リードしようとしているのだ。その判断基準が古いのが問題である。
リードされる側も、ほとんど思考停止状態で、リードする側またはそれを単純に批判する側に同調しようとする。自分で考えるより圧倒的に楽だからだ。
それを繰り返すうち、そもそも思考能力は退化し、判断能力もほとんど失せている、始末の悪いことには、その自分の退化の自覚がまったくなく、他人事感覚で「それぞれの唯我独尊」状態に陥っているのである。リーダが悪いだけではない。リードされる側が唯我独尊状態で評論家の立ち位置をとるしか能がないのである。
リードする側もされる側も、過去の慣性モーメントに支配され、新しい環境変化、状況変化に「トンチンカン」な対応をしてしまうのである。
書きながら考える課題ではないようだ、まとまらない。もっとよく考える必要があることが分かった。考えて、いずれもう一度、トライすることにする。