Facebook で私の「ともだち」が、ある記事をシェアした。
斎藤環(精神科医)さんの「人は人と出会うべきなのか」という記事だ。
難しいが、なかなか面白い内容である。以下、氏の記事を抜粋させてもらいながら、私なりに整理してみる。
「臨場性」:人と人が出会うこと。その場に居合わせること。ライブであること。face-to-faceで話すこと。
過去のハンコ文化など、臨場性至上主義のような考え方は、IT化の今では適切ではない、遅れているということだ。
かつては「その場にいる/いない」の二者択一しかなかった。だとすれば答えは「臨場がベスト」にしかならない。しかし現在の選択肢は「その場にいる/オンライン/いないし、つなげない」のように、最低3つだ。
つまり「オンライン」という第三の選択肢が浮上してきたわけだ。
ここで重要なことは、無条件で「その場にいる」ほうが「オンライン」よりいいとはならない。用件や作業内容によっては、オンラインのほうがベター、ということがありうる。コロナ禍の中で、そうした新しい価値基準が浮上してきたのだ。これが議論を複雑化する。
もっとも、一部の界隈で言われているような「ウィズコロナで社会は一気にリモートワークに移行」的な事態は予想以上に進まないだろう。それはIT化以降も、この社会では依然として、固定電話やFAXが重用され続けているという事実からも予測できる。和風デジタイズは、どこかで必ずアナログとのハイブリッドになるようだ。東京都が医療機関にFaxで感染者数や死者数等の情報を送らせそれを手作業で集計していると聞いた時は軽いめまいを覚えたものだが、単なる技術的な遅れ以上に、そこに「手作業の臨場性」への固執を見て取るのはうがち過ぎだろうか。
臨場性はなぜ必要なのか。この議論はあまりにも哲学的であるため、ここで十分に展開するにはとてもスペースが足りない。しかし、さしあたり考えてみたことの、さわりのみ記しておこう。筆者の考えでは、臨場性が必要とされる理由は、以下の通り3つある。
1)臨場性は「暴力」である。
2)臨場性は「欲望」である。
3)臨場性は「関係」である。
以下、哲学的というよりも。筆者の専門の自閉症患者などの精神科医師の専門的見方から開設されている。単に言葉の感覚だけでとらえないで、筆者の言う内容をきちんと理解する必要がある。
興味ある方は、次のサイトを見られたし。
https://note.com/tamakisaito/n/n23fc9a4fefec?fbclid=IwAR3Sm0jIF3R3DumGdtHJ-0WNrWWNclJghGsCE-Bl4vTQd9rA0_I9q6mSaJQ
私が考え続けている、人間関係の原点に向かって攻めているように感じる。
人と人の関係性とは何か?そういう関係性はどうやってできるのか?といったことを探ると、必然的に主体の個人の感性、感覚、考え方、構え方などに行きつく。その主体が、臨場性にどのように対応するかということがポイントになる。
筆者が、自閉症の人の状況を分析していることは、実は自閉症とはいわない状態の人の心や主体性にも、ほぼ同じように当てはまることで、多少の程度の違いがあることと思われる。
関係性や人間関係について、その表層的結果だけで議論するのではなく、その結果を引き起こす原因について考えることが必要であるということではないか。
人間関係を研究することは、実は人間そのものの研究なしにはありえない。言ってしまえば、当たり前のことといえる。人間が、自分以外で起こることに対して、どのように考え、対応するかを解きほぐしたい。
問題は、その当たり前のことが、最も難しい、一筋縄ではいかない難題であることだ。
結論:難しい!!