四国の田舎から出てきて、もう55年。古希同級会として田舎に比較的近い、四国八十八か所の岩屋寺のある、古岩屋の国民宿舎1泊で先日実施した。私も参加した。
この一連行事の中で、私が研究している「人間関係」の視点から観察し、考えたことを2回に分けて少し整理する2回目である。1回目の1)-3)に続ける。

4) 酔いどれの無礼:
宴たけなわのころ、私の近くに座っている男女が何やら話している。男はすでに酔いどれ状態、女は飲んでいるがほぼシラフ状態。男は昔の優等生でその後も、この会をリードしてきたと自負している。芸達者グループとも近い。女はそのグループとは若干距離を置いている感じがする。
男が、自分はいろいろなグループに属しているが、この会が最も大事なものと思っている。あなたもそうだよね。とよくろれつは廻らないが同意を求めている。今まで少し距離をおく彼女への不満があるのかもしれない。女は人それぞれにいろいろなグループに属しており、皆があなたと同じとは限らない、と言っている。近くにいる私にも同意を求めてきたりした。しばらくやり取りしていたが、元々途中で帰る予定であった女は、皆への挨拶もなく突然帰ってしまった。なんだか頭にきたのだろう。私が双方をとりなす時間は残念ながら、なかった。
このケースは、酒のなせる業と言えなくもない。しかし、冷静にやり取りを見ていた私には、若干の衝撃はあったが、人間関係の微妙さを感じる出来事でもあった。

おなじ人間関係ドメインのなかであっても、そのグループへの思い入れは各人で異なるのは当然である。この場合、いくら酔いどれであっても自分のそのグループへの思い入れを他者に強要しようとした男が悪い。多分、その男なりの事情、例えば彼個人の日頃の不満、ストレスなどがアルコールを通じて出てきたのであろう。しかし、自分の勝手な思いを理不尽に他者に強要するのはよくない。価値観の異なる他者とのやり取りは、酔っていても注意しなければならない。こういうことの積み重ねが、お互いの「友好度」に大きな影響を及ぼす。多分、この宴会以前にも増して二人の関係性が悪化したに違いない。
酒の入った状態での人間関係のやりとりに直面して、ある意味ちょっと面白い場面に出会った気分である。

5) 話題の中心は:
1泊しての会合は、宴会だけでなくその後の2次会まで、久しぶりに会って話は尽きない。話より、飲むことが楽しみの人もいるが、さすがに70歳になると酒量も昔よりは少なくなるようだ。気持ちだけは昔に戻り、夜遅くまで続いた。
話の中身は、全員での話より、数人単位、1対1といった個別的になることが多い。それぞれの今や過去の状況(仕事、家族、日常、健康)を互いに交換するようだ。過去の共有している思い出話も少なくない。あの時誰がどうしたといった話である。特に同級生であるため、共通の話題になる先生の話も少なくない。

人間関係資産論的視点でみると、その多くが一種の人間関係資産のメンテナンス作業に相当する。お互いの確認をすることによって、互いの関係をレフレッシュできているということだ。もちろん、中には話の中に新しい関係性を見出すこともある。「友達の友達は友達だ」というやつだ。新たな人間関係につながることもあるが、この年代(古希!!)にもなると、あまり多くはない。

6) この種の人間関係から発生しうる価値:
私自身が参加した、小中学時代の仲間との1泊の楽しい「古希同級会」を振り返り、人間関係資産論視点で考えてみた。

見える化視点では、久しぶりのコミュニケーションで、参加者個人やその関連する人について新しく知ることも多い。全員参加の仮装舞踏会などでは、それまで見えなかった素の部分も発見できたりする。
活用視点では、互いの人脈なども含め、次の行動に移すこともある。何かの行動の約束をしたりする。
増大視点では、新たな人の紹介などに発展することもある。
本音を出して昔の友人と楽しみ、コミュニケーションすることは、ストレス発散、楽しみだけでなく、人間関係資産のすべての面で有意義な効果を発揮することは間違いない。積極的にこの種の集まりに出ることは有益なことである。